朝、治療所にきてツバメの巣を見上げる。ツバメの姿を確認し、巣の下の掃除をする。
昼、ツバメがいそがしく飛びかうのを見て微笑む。
夜、巣からはみだして就寝するツバメを横目に帰宅する。
いつの間にかツバメとの間に友情が芽生え、お互いに支えあう存在となっていた・・・はずだった。
敵意むき出しなのである。
それもそのはず、最近ファミリーマートに行くと必ず探すものがあるのです。
櫻チップで薫製したうずらたまご。(税込250円)
売り切れていることも多く人気の高さが伺えます。こんなにうずらのたまごに執着したのは、小学生の給食以来。八宝菜に入っていたうずらのたまごを昼休みになっても口の中にしのばせていたのを懐かしく思い出します。
しっとりとした表面、かじると口いっぱい薫製の風味がひろがります。
文句なしにおいしい、おつまみとしても想像以上においしいのです。
それを知ってか知らでか、ツバメは自分のたまごも狙われていると警戒しているのでしょうか。
確かに、ツバメのたまごもこんな形しているのでしょうw
さて、先週話題になっていたこのニュースご存知でしょうか?
日本人のアートに対する感性の低さを象徴する騒動。
東京大学中央食堂の絵画廃棄処分について | お知らせ | 東京大学 https://t.co/qnsZkoAxMt
— ゲンキ★いぬくま美術館 (@inukumamuseum) May 16, 2018
東京大学の中央食堂の壁面に40年にもわたり飾られていた宇佐美圭司氏の絵画が、食堂改修に伴い破棄されたというこの騒動。
これは日本人のアートに対する意識の低さが、世界に大きく後れをとっていることを広く社会に認知させる機会になったと思います。
「日本の各地に美術館があり、個展やアートイベントがたくさん開催され、地域によっては町全体でアートに取り組んで町おこしをする動きもみられる。以前よりどんどん生活の中にアートが溶け込んできているのはうれしいことだが、諸外国と比べると普段の生活の中でアートに対しての感性や評価が低くまだまだアート後進国なんだ。」という話をSeikoがちょっと前にしていたので、今回の騒動はまさにそれを象徴していると思いました。
諸外国ではもっと身近にアート作品が日常の中にあり、無名のアーティストの作品でもよい物は高値で売買され、リスペクトされるそうです。
外交の場(特にヨーロッパ)でも、部屋に絵画がないとまず「絵画をなぜかざらないのか?」という話になるそうです。
日本人は絵画があってもいい絵だという目で見る感性が低く、実は習慣がないのです。
確かにボクもSeikoのアート以外に生活の中でアートに触れる機会があまりないですし、購入してまで欲しい作品があるか?と問われると明答する自信がないです。
文化的価値は所有者が認識して初めて価値を持つのだから、今回の騒動は、大学生協側が絵画の価値がわからない結果どう扱おうが他人が口出しすべきではないのかもしれません。ですがそこは教育の現場。しかも日本の最高学府でおきたことなので、絵画が廃棄されたことは非常に残念です。
Seikoは自身のアート作品を「自分の子供のようなもの」と表現しています。ボクもアート作品は作者や所有者の想いが強い象徴物で、それこそ生き物と同じように扱うものだと考えています。それを平気で廃棄できる感覚が理解しがたいですし、しかも4メートル四方の超大作の絵画です。人形だって手放す時に供養するためのお寺があるように、アート作品にもその感覚があってもいいんじゃないのかなと思ってしまいます。
日本はもっと子供のころから身近にアート作品に触れる機会を設けるべきだし、当たり前のようにアートがある社会になるように働きかけないといけませんね。
造形作家Seikoは子供たちに絵画を教える取り組みもしています。そういう活動を通じて少しでも社会全体が感性豊かになると、もっと平和な未来が開けるような気がします。
いぬくま!