Qooの穏やかな最期


 
 
 
 
 
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OZAKEYDA(@oza_key_da)がシェアした投稿

2021年4月18日、13歳と9カ月Qooが旅立ちました。

ボクとSeikoが見守る中静かな眠りにつき、それはそれは穏やかな最期でした。

6月「口の中に何かある」

2020年6月末に口の中にデキモノを発見し、7月に摘出手術を受けました。

病理検査の結果は、腫瘍の中でも悪性度の高いメラノーマ(悪性黒色腫)だったのです。

完治を目指したのですが9月に下顎リンパ節に転移、10月は僧帽弁閉鎖不全症を併発。

12月には肺に3か所の転移を認められ、いよいよ手の施しようのない末期ガンとなりました。

12月「末期ガンと余命宣告」

希望は無残にも砕け去り、あっという間に末期ガン。

12月のはじめにはついに余命宣告をうけます。

「早くて3か月、長くても半年」

病気の進行具合からしてQooの場合は、あと3か月だろうと覚悟しました。

「桜が見れる頃まで一緒にいられたらいいな」

という願いはあったのですが、それまではおそらく無理だろうと感じていました。

2月「あと数日かもしれない」

そして、その通りの余命宣告から3か月、2月のはじめにQooの容体が一気に悪化して意識はもうろう、食べ物も水も薬も一切喉を通らなくなりました。

ガンが骨髄に転移して貧血症状も併発するようになったのです。

先生に「この状態になるとあと数日かもしれない」と、休日返上で点滴などの処置を施していただきました。

やっぱり3カ月か・・・。

ボクが想像していた肺ガンによる最後は、窒息を伴う壮絶なものになると覚悟していたので、

この時のQooの眠るような穏やかな状態は、別れの悲しみよりも「よかった」いう安堵が強かったのを記憶しています。

そして、その時の先生の適切な処置は素晴らしく、その後はなんとか容体が安定しました。

ひょっとしたら、Qooの実家でもあるSeikoの実家で緊急のお別れ会を開催したのもよい刺激になったのかもしれません。

3月「桜を一緒に見れた」

3月は小康状態が続き、大きな崩れはなくなんとか普通の生活をすることができたので、抱っこしながらですがライフワークだった山登りにも積極的にチャレンジしました。

桜を見れる頃まで一緒にいれたらいいな、という願いも叶いました。

このまま良くなるんじゃないかと希望も膨らみました。

しかし、下顎リンパ節の転移巣が日に日に大きくなり、この頃には顔と同じぐらいの大きさに・・・。

それと同時に肺のガンや貧血も少しづつ進行し、口腔内のメラノーマも再発。

病気の進行は残酷でしたが、奇跡的に気道の圧迫はさほど見られず、肺も心臓もなんとかもっていました。

4月「10カ月の闘病生活の末に」

4月に入り、呼吸が浅くなってきていたので、酸素吸入器を導入したところ呼吸が安定し深い眠りができるようになりました。

それで寝たきりとなり足が弱り自分で立ち上がれない状態になったのですが、胸に抱いて山に連れて行くととても気持ちよさそうに自然を楽しんでいる姿に、ボクたち自身も癒されました。

この時間はとても穏やかでとても幸せだったのです。

もう頑張らなくてもいいんだよ、と何度も声をかけました。

そして、ボクたちはいつもと同じように、ご飯を食べてお風呂に入ってさぁみんなで寝ようという時、

QooはボクとSeikoの間で、静かで穏やかな眠りにつきました。

出会いの場所に帰る

次の朝、Qooのもとに家族が集まっていつものようにワイワイ過ごしたあと、動物霊園へ。

Qooは動物霊園でSeikoと出会い、いつかはその場所に帰るとなんとなく感じていたのですが、その日はやっぱり訪れてしまいました。

そして、太陽の下で明るく自然に還る、樹木葬にて供養しました。

生命のバトンタッチ

12月に余命宣告をうけた3日間は泣いて過ごしました。

しかし、それと同時にSeikoのお腹の中に赤ちゃんがいることがわかったのです。

赤ちゃんはQooが導いた命とすぐに感じ、Qooをしっかりと看取ることに気持ちをシフトして前向きに考えるようになると、涙は自然と収まりました。

妊婦検診で赤ちゃんの小さな命がどんどん大きくなっていくのを、動物病院の検診ではガンが大きくなっていくのを、2つ同時に目の当たりにしました。

誕生してくる神秘的な力と、死へと向かう抗うことのできない力。

ベクトルは違えど2つの大きな生命の力は1つに交差すると確信したのです。

ボクはどちらかというと無神論者ですが、Qooの命が生まれてくる赤ちゃんに繋がると思うと嬉しく思いました。

QooはSeikoのお腹に赤ちゃんがいることをすぐに理解して、よくSeikoのお腹に寄り添って寝ていましたが、

赤ちゃんもそれにこたえるようにドコドコとお腹を揺らしていたみたいです。

QooはSeikoが安定期になるまでしっかりと見届けてから旅立ちました。

病気の割には穏やかな最期だったので、悲しみよりもよかったという気持ちがやっぱり大きいのですが、とにかく寂しい・・・。

でも、またすぐにQooの命に会える日がくるのをボクたちは信じています。

そして、また別に新たな物語もはじまったのです。

 

いぬくま!