4月18日はQooの命日です。
Qooとの別れは突然のことではなく、残された余命をどう過ごすか考える時間がありました。
もちろん僕たちにとってつらい闘病期間になりましたが、その中で楽しい思い出をたくさん作ることができ、
最期までしっかりと看取れたのは、
本当に幸せなことでした。
Qooが旅立ってすぐにTenと出会い迎えました。
Tenは寂しさに暮れる僕たちの心を優しく癒やしてくれて、心にあいた大きな穴のほとんどを埋めてくれたのです。
そうこうしているうちに息子が誕生して、いつしかQooのいない生活が当たり前となり、
あたらしい家族の形を一生懸命過ごして来ました。
4月になりその生活もようやく慣れてきたと思うのですが、急に別れの寂しさがこみ上げてきたのです。
この暖かくなってきた春の感じが、Qooと別れた春を強く思い出させるのでしょう。
末期ガンで残りの命が少ない中、
もう頑張らなくてもいいよと思わすぐらい生きてくれました。
たくさん笑って泣いて、無理だと思っていた桜も一緒に見て、
静かに旅立っていきました。
きっと妊娠中のSeikoが安定期になるまで見届けてくれたんだと思います。
別れは必然であり自然なことなのですが、やっぱり寂しい。
しかし、命のバトンは息子にしっかりと引き継がれています。
今日はQooの命日。
あれから1年。
今もこんなに幸せだよと伝えたい日になりました。
いぬくま!