Seikoがブーツを購入したというので見せてもらったのですが、「サイドゴアブーツ」は定番のタイプのブーツなので、特に珍しいものでもありませんでした。
しかし、これは歴史上の偉人で一番好きな『坂本龍馬』の履いていたブーツと同じタイプなので、ボクにとっては「龍馬のブーツ」なのですw
目次
坂本龍馬とブーツ
坂本龍馬の写真にはブーツが!
「龍馬のブーツ?」
と怪訝そうな顔をしていたので、Seikoにこのブーツを履いている龍馬の写真を見せると、それが本当だったのでしばらく笑い転げていましたw
長崎には坂本龍馬のブーツ像がある
長崎県には龍馬のブーツの銅像があり、観光スポットになっています。
坂本龍馬は、土佐藩(高知県)出身で幕末の日本の新たな国づくりのためにさまざまな活躍を果たしました。
その代表として知られるのが「薩長同盟の締結」や新国家構想「船中八策」です。
また、当時では珍しいブーツの愛用や、さらには日本初の新婚旅行をしたことでも有名ですね。
なぜ坂本龍馬はブーツを履いていたの?
①新しいモノ好きだったから
このブーツは高杉晋作から贈られたとか
今の感覚でも着物にブーツを履いている、150年前の坂本龍馬のスタイルは正直おかしいですよね
その時代のポピュラーな履物といえば、草履やワラジや下駄であったはずです。
「新しいモノ好き」という見方もできますが、国内各地をとび回る龍馬にとっては草履やワラジをよりもブーツの方が機能的なので、
そのスタイルは理にかなっています。
②日本人として世界を見ていたから
龍馬が生きた江戸時代は幕藩体制の世だったので、
人々は「私は土佐藩の人間」というように、各藩への帰属意識が強く、日本人という自覚を持っている人間はほとんどいなかったそうです。
龍馬は藩への帰属意識が支配的であった時代に、土佐を脱藩して日本という国を意識し、日本人としてものごとを考えた人物でした。
目の前のものすべてが新鮮であったに違いありませんよね。
亀山社中という貿易会社を立ち上げ、日本人として世界に目を向けていたので、外国人が履いていたブーツに憧れをもったのでしょう。
③土佐の厳しい身分制度があったから
草履を履く龍馬
土佐藩では同じ武士でも、上士と下士の間には厳格な身分差別があり、下駄を履いて歩けるのは上士だけで、下士は草履しか履けませんでした。
つまり、坂本龍馬は下士だったので草履を履くしかなかったのです。
下士は侍扱いされず登城も禁止されていたので、龍馬は土佐城に入ったこともありません。
さらに下士は、上士が通る時は雨の降る中でも道路に腹這いになってお辞儀をしなければならなかったり、上士に対してとても屈辱的な思いをしていたようです。
下士であった龍馬が、草履でも下駄ではなくブーツを履いていたのは、オシャレのためだけではなく、上士に対する対抗心が強くあったのかもしれません。
坂本龍馬おススメの書籍
ボクが坂本龍馬に興味をもつきっかけとなった書籍を紹介しますw
お~い!竜馬
ボクシング漫画「がんばれ元気」でおなじみ、小山ゆうさんが作画を担当した漫画『お~い!竜馬』です。
この物語は大の龍馬ファンである、武田鉄也さんの原作なんですよね。
作品とは関係ないのですが、武田さんは坂本龍馬に関する数多くの持論があり「龍馬の履いてる袴はリーバイス」という説がすごく好きですw
竜馬がゆく
もうひとつは、司馬遼太郎さんの文庫『竜馬がゆく』です。
言わずとしれた坂本龍馬の一生を描いた作品で、生き方のバイブルといっても過言ではありません。
「龍馬のブーツ」まとめ
Seikoのブーツは龍馬のブーツ。
今までも、街でこのタイプのブーツを履いている人を見かけるたびに、実は坂本龍馬に思いをはせていました。
坂本龍馬は、土佐藩の武士の中では身分の低い下士の出身でありながら、幕末という大きな時代のうねりの中で、倒幕や大政奉還に向けて大きな業績を成し遂げた偉人です。
龍馬のそうした先進的思想や行動は、政治的な側面だけでなく、いろんな分野でも数々の奇跡を起こした事実は尊敬に値します。
「身分は関係なく龍馬として生きる」
坂本龍馬がブーツを履いていたのは、自分を信じて正しく生きた証だったと思いました。
いぬくま!